【海外就職】フィリピンと日本で働いてみた僕の回顧録。1年を振り返って。

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日本で働き始めて、1年近くが経過しました。これで、フィリピンと日本で働いて1年づつが経過したことになります。

1年は1年であり、そこには365日の成長と挫折のストーリーがあると思っています。1年は誰にとっても1年であり、残酷なまでに平等です。

その1年を通して感じたことは、日本の企業で働くことは大変だということ。ましてや、海外での就業経験の後に日本の企業で働くということは、想像以上に大変であったということです。

日本で働く1年間

日本で働いて、気がつけば1年が経過しました。とてもあっという間だったように感じます。IT企業で働き、毎日パソコンに向かってプログラミングをしたり、ドキュメントを作ったりしています。

そこにスゴイ意味があるかと言われると、少しだけ自信がありません。

というか、全くありません。

B2Bビジネスでは、喜びや楽しみという感覚が、とても小さいように感じるのは僕だけでしょうか?

これはきっと、前職がサービス業だったからかもしれないのですが、「働いて、誰かに喜んでもらえる」という感覚が少ない気がしています。

なんのために働いているの?って聞かれて「クライアントのため」と答えられるのは、大人の勝手な都合の、大きな自分へのウソなんじゃないかって思うようになりました。

たぶん僕は、自分自身にもウソをついています。

ほとんどの大人が、きっと心の奥底のどこかで感じているのでしょう。

「いいか?ウソをついて、毎日を暮らすんだ。そうしなければ生活なんて、出来やしないんだぞ」と。この生き地獄からは決して逃れられないんだぞ、と。人の前で涙を流すことは許されないんだぞ、と。

毎日泣きたい気持ちを精一杯に押さえ、カバンに絶望と披露を詰め込んで、家族の期待がのしかかった背広を羽織って。

泣き言を言っている暇があったら、働け。血も涙もない世界で戦えと言われている気分になってしまう。

フィリピンで働いた1年間

僕は、日本で青春を謳歌すべき年齢をフィリピンで過ごしました。

21〜23歳という感受性が最も豊かであろう時に、スラム街でもみくちゃにされ、発展途上国のパワーに圧倒され、旅行会社というマンパワーが支えている業界に身をおきました。

フィリピンで働いた1年間はとても楽しかったと、あらためて振り返っています。

毎日が文化祭みたいで、あっちへバタバタ、こっちへバタバタ。お客さんの要望を聞くために24時間体制で電話を待ち、なにかトラブルがあったら、バイクでホテルまでひとっ飛びで向かう毎日。電話一本で、ホテルの部屋の前まで。

そういう中で得た実感は、これまでに感じたことのないものでした。自分と上司が中心となり、フィリピン人の数十名の部下と力を合わせ、旅行会社を盛り上げていた実感です。

少ない人数で、何百人ものお客さんの身の安全を守ることは緊張もしたけれど、責任感のある仕事をする充実感はありました。忙しさにから眠れない日々が続き、朝早くから電話で起こされることもあったけれど、電話の向こうにはお客さんの笑顔があった。

「楽しかったよ」

「またセブ来ます」

「いい場所で働けて、幸せですね」

そういった声が、僕の心を満たしていきました。セブ島で出会って仲良くなった人や、リピーターとしてセブ島に来てくれた人もいました。

サービス業って、自分本位で仕事ができないから辛いと感じるかもしれません。それでも頑張って相手を喜ばせることで、その一瞬一瞬に価値が創出されていたんだな、といま、日本での経験をふまえて感じています。

やり甲斐のある仕事であった。それに、なんでもやった。

ガイド、通訳、ツアーの予約、電話対応、クレーム対応、ウェブサイトの管理、空港の送り迎え、取引先への挨拶回り、新規ツアーの企画。

そういう仕事は「今この場でしかできない経験だ」と思って、楽しく取り組めました。あの時の経験がなければ、僕はニュージーランドで留学することも考えなかったでしょう。

それに、今の自分の80%くらいが、違う人格で形成されていたはずです。そう考えると、素晴らしい経験だったと感謝すると同時に、とても怖く感じてしまいます。

日本とフィリピンの違い

日本とフィリピンで働いた・働いている経験。その違いはなんだろう?

成長率の違い

1つ目として頭に浮かんだのは、成長率の違いでした。

毎日ドタバタと大量の仕事をこなしていた僕は、気がつけばだいぶ遠いところまで歩いていたのです。フィリピンの旅行システムやホテル、ツアーのことを皮切りにして、ツアー客への電話対応、取引先への挨拶回り、ウェブサイトの管理など。

多くのことを一手に引き受けていたから、1年間でものすごく成長できた。

仕事量だけじゃなく、仕事の質、方法も、自分で効率よく運営できるようにしていた。そうしなければ、仕事が終わることはありませんでした。メールは数分おきに送られてくるし、忙しい時は1分おきに電話がかかってきました。

それに対して、日本はどうだろう?

今働いている企業は悪くない。というか、世間で言えば良い方だと思う。けれども1年を経過して、頭の中で消えることのない疑問点があります。

「お前は1年で、どこまで成長したか?」

正直いうと、答えることを躊躇ってしまう質問です。いま改めて考えてみると、僕はこれまでの1年で何をしてきただろうか。

プログラミング?

C#?

SQL?

Ruby?

たしかに、これまでに触れることのなかった世界を泳いでいます。でも、それは成長とは少し違う。ただ経験した、に近いのかもしれません。根本的な自分が成長したかと問われると、わかりません。

僕はこの1年間、何をしてきたのか?

自分に問いかけた疑問が、今も頭から離れない。

刺激のある・なし

フィリピンは毎日が刺激的だった。そもそも海外は刺激的です。

よくわらない言葉を話す人々、普段とは違う食事、空気、景色。何もかもが違っていて、素晴らしかった。

その場に存在し、仕事をしているだけで自分は楽しいと感じることができた。違う価値観を持つ人々に囲まれ、自分と他人を擦り合わせていく。

どうすればうまくコミュニケーションを取れるだろうか?

的確な指示を出すために、どう簡潔に伝えるべきだろうか?

1つ1つの行動に意味を持たせなくてはならなかった。そういう生活の中で得られる経験は、日本に住む経験の何倍にもなります。

日本は刺激がない。

こんなこと言うと怒られるかもしれません。けれど、そう言う人は海外にすら出たことない人だと思う。もし海外で生活したり、働いた経験のある人は、きっと同じ意見にはならないはずです。

もちろん、渡航先でどんな経験をしたのかにもよるので、一概には言えませんけど。

それでも海外では、「よかったこと・ダメだったこと」から得られる経験値も高いと思います。とてつもない空間だ。海外というところは。

海を1つ超えるだけで、住む人の違いと、空間の違和感と、文化の違いに驚かされる。

日本では当たり前のことが通用しない。

あなたは、そんな経験があるだろか?

まとめ: 経験してみて分かることも多い

これまで多くのことを経験してきた。日本とフィリピンで働いて感じたことは、上で記した通り。「成長できる」が個人的な意見だ。

だからそれら全てを経験して、吸収して、血や肉とする。この一連の流れを、海外で体験できたことがとても良かった。もちろん、日本で働く事も「経験」という意味では良かったと思っています。

その過程を考えて僕の出した答えは「成長という点において、海を越えて動き回るほうが何倍ものスピードで成長できる」ということです。

とはいえ一概に言えることは、何事も経験してみなければ分からないということ。こうして今、日本で働いた経験がなければ海外との比較もできません。何がダメで何が良かったのかすらわからないのですから。

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ヒロフルカワ
日本の大学を中退しフィリピンの旅行会社に就職。その後、NZの大学に留学。卒業式では400人の前でスピーチをする。これまでの経験をもとに、英語・海外情報をブログで発信中。ツイッターではブログ運営・英語学習・海外情報をシェアします。社会不適合者のネジ外れぶっ飛び系。海外就職/大学留学/TOEIC840点/英検準1級。お仕事受付中のフリーライター兼、旅人。