こんにちは、HIRO(@MailTomix23)です。セオレティカルへようこそ!

私のプロフィールを書いてみました。25年を振り返って、これまでの経緯とこれからの活動について綴っています。

HIRO

2013年、フィリピンはセブ島のスラム街でボランティア活動をはじめる。

同年からPTNトラベルで働き、セブ島観光のエキスパートに。また、大人気のセブ島ウェブマガジン「エキサイトセブ」の元ライター。

ニュージーランドの大学を卒業した後、IT企業にてプログラマーをしています。

僕の夢はなんだ?

僕の夢はいたって簡単でシンプル。

「会社や社会に依存することなく、自由に生きる」

ただこれに尽きます。

 

 

幼少期から高校卒業まで

小学性から始めたサッカーは、私にとってかけがえの無いものでした。こう見えても、J リーグの下部組織に所属していた時期もあったり、県の選抜でキャプテン努めた時もあったくらいのめり込んでましたね。

例えばドイツの原口元気、ジェフ千葉の指宿、グランパスの田口、ガンバ大阪の泉沢。

 

彼らは対戦相手だったり、チームメイトだったわけなんだけど、今考えてもすごかった。

国体候補やらなんやらと、あれよあれよと言う間に、それなりにサッカーで有名になったりもした。けど、高校まで進むと、度重なる怪我とモチベーションの低下が襲いかかる。

これまでの努力が一瞬でムダになるくらいのモチベーションの低下です。

10年も身を捧げてきたサッカーとの決別。

これにより、多くのことが犠牲になったけれど、同時に新しいことも運んできてくれました。

「人は何かを得ようとする時、何かを捨てなければならない。人生とは選択と集中だ」

と、ベストセラーとなった「人生の勝算」の著者である前田祐二さんは言っています。

この選択と集中が、私のケースに当てはまるかは甚だ怪しいもんですが。

 

 

HIROの海外歴

これまでも色々な国に訪れました。その中でも特に長く滞在した3つの、思い出が深い国についてお伝えします。

 

人生で初めての挑戦。「世界の広さとおもしろさ」を感じたカナダ

vancouver

日本にドップリと浸かっていた大学生の自分は、ここで衝撃に出会いました。

はじめて対等に外国人と会話する興奮、人生のるつぼと言われるバンクーバーの落ちついた雰囲気、雄大な自然。

このバンクーバーで、生まれて初めて「世界は広い」って思いました。

 

今まで韓国とイタリアに行ったのですが、どちらもサッカーの遠征で、チームメイトと一緒の「観光」気分。

景色はスゴイと思ったけれど、あまり感動しなかったのを覚えています。

それは多分、自分の足で歩かなかったから。

 

そんな過去の経験とは違い、「本当に」はじめての海外であるカナダで「世界」を感じました。

何かにガツンと殴らたような衝撃が、これまでに凝り固まった価値観や観念を一瞬で崩し去ってくれました。

 

それは、心が震えて止まらない瞬間です。

からだにはバイタリティに溢れ、目の前の景色が、色鮮やかに映し出される毎日です。

夜の街に繰り出すこともあれば、家で他の留学生と遊んだり、飲んだり。

満喫しすぎて、「いつかバチあたるんじゃないの?」っと心配になるほどでした。

「留学って、海外って、知らない土地って楽しいね」

はじめて心の底から、その言葉の意味が理解できた留学でした。そしてこれがターニングポイントとなるのです。

 

この広い世界を、もっと見てみたい。住んでみたい。

そうしたら私は、もっと広く、深く、そして魅力的になれる!

興奮にも焦りにも似た心臓の動機、前に進みたい向上心。

 

刺激的だったバンクーバーでの生活を胸に、次のステージへ向かうことになります。

 

フィリピンで得た、サバイバル能力と経験

私は高校の時からボランティアしていました。フィリピンを支援するボランティア団体をお手伝いしていたのですが、その団体が主催するスタディツアーに参加したのです。

そして、ここが私の第二のターニングポイント。

このスタディツアーにいかなければ、きっとフィリピンには行っていませんでした。多分カナダにいましたね。

 

日本から久々に羽を伸ばした私は、フィリピンに着いてから驚きを隠せませんでした。

この世界には、こんなにも美しい国があるんだなんて思わなかったからです。

おちゃめなオジサンが微笑みかけ、

子どもたちが、宝物のような笑顔をくれ、

貧しさに負けず、幸せに暮す人たち。

 

そんな私が、この国の魅力に取りつかれないワケはありませんでした。

たった7泊8日で南国の空気と雰囲気に魅了され、次の年からフィリピンで過ごすことを決めます。

何事も決めることが大事。フラッと生きると、思いがけない出来事に遭遇できます。

 

そして私は、念願叶ったりでキリスト教徒の熱心な信者と共にスラム街で過ごしていました。

 

↓ 僕が住んでた地域。子どもたちがいっぱいいて、バスケして遊んだりしてた。

 

楽しそうに見えるけど、実際は何度か死にかけました。2回ほどフィリピンで入院もした。

フィリピンのスラム街なんて、日本人が暮らせる環境じゃない!

 

宗教に対する興味はなく、当時は刺々しい21歳だったことを悔やんでいます。

日本の自由な宗教心とフィリピンの敬虔な信者の間で、なにかモヤモヤしたものを持っていました。

これが実は宗教のムズカシイところ。宗教は、その人の心の中にある信仰心なので、何も信仰していない私には、その価値観が理解できなかったのです。

 

まわりの人たちに迷惑をかけましたが、持ち前の明るさを駆使し、毎日を楽しく過ごすごしていました。

ちなみに私はキリスト教徒ではありません。絶対に違います。

また、“University of San Calros”というセブ島の超名門大学にも通っていました。

 

▽ クラスメート達。なぜ女子学生ばっかりだったのかは知らない。

クラスにたった1人の日本人だったせいか、みんなに引っ張り回されることに。

これはたしか、会計学のクラスだった気がする。現地のフィリピン人学生たちと楽しく授業を受けていました。

時々サボってたけど!聴講生だから単位つかないし!

1学期分の受講料は、たしか1科目10,000円くらいです。破格です。

 

↓こんな部屋にも住んでたことがあります。家賃は4,000円くらいでした。

 

そして私はとある偶然の縁から、現地の旅行会社で働くようになります。毎日を忙しくも、充実した日々を過ごすことができました。

いくつかのツアーを企画して社員を教育し、ウェブサイトを管理して、多種多様なトラブルに対応しました。

フィリピン人の部下を30人名ほど持ち、常時300人〜500人のお客さんの命を預かる仕事をしていた。

 

最後の最後で爆弾落としたけど、なんとか1年の契約期間を満了して帰国の途につく。

ここにきて、セブ島観光のプロフェッショナルになれたことは大きかった。

 

なぜなら「観光」という一大産業を隅々まで知ることによって、フィリピンの裏と表の顔を知ることが出来たからです。

「観光」が昼の顔ならば、「貧困」は夜の顔です。

じつはコレを知っているのと知らないのでは、フィリピンに対する印象がガラリと変わってしまいかねないのです。

 

そして、次に進むべき道を考える時期がやってきました。私は人生で大きな決断を下します。

 

 

 

ニュージーランドで磨いた知識

次に私が選んだ道は、ニュージーランドでした。

実はニュージーランドに行くことを決めた理由は、とても単純です。

「海外大学の卒業資格が欲しい」

と思ったから。フィリピンで英語がそれなりに出来るようになって感じたのは、

「このまま日本の大学に戻っていいのかな?」

という漠然とした悩みでした。

  • せっかく英語が話せるようになったのに
  • 英語で仕事をしていたのに
  • これまで海外で色々な経験をしてきたのに

まさにこうした悩みが頭の中をグルグルと廻っていました。

そしてもう一つネックだったのが学費です。海外の大学は、日本の大学に比べてとにかく高い。これは本当にどうしようもないことです。お金がないのに払えって言われても、払えないじゃないですか。

物理的にも精神的にも不可能です。

 

そこで見つけたのがニュージーランドにあるIPU New Zealandという大学でした。

そこまでレベルの高い大学とはいえなかったけれど、ここでの目標は「とにかく勉強に打ち込むこと」としました。

あえて言うならば、カナダ・フィリピンと学んで来た英語を、別の次元へ伸ばすこと。

 

日本の大学時代は経営学部に在籍していて、会計学やマーケティング、ビジネス戦略などを学んでいたので、その知識を英語で議論できるようにしたかったというのもあります。

 

授業は会計学を中心に参加していて、プライベートでは日本人学生の後輩にTOEICを指導したり、街のサッカークラブに参加してアマチュアサッカークラブの全国大会にも出場したり。

アルバイトもちょこっとしたり、論文が忙しかったり、旅行へいったりしてました。

毎日を課題と授業と、再び始めたサッカーで忙しくするも、何とか成績はトップクラスを収めて無事に卒業しました。

 

卒業式では400人近いビジターがいる中でスピーチも行いました。

ニュージランド在住、日本大使の前だったので緊張しましたね〜。

アマチュアサッカーの全国大会に出場できたことも、今となってはいい思い出として、心に刻み込まれています。

 

 

いま

そして今、ニュージーランドを卒業したあと、気がつけばIT業界に就職している。

毎日プログラマーなりSEとして、コーディングしたり書類を作ったり、試験をしたり、データを作ったりしているわけです。

それはそれで楽しく、IT企業という「よくわからない実態とその経済圏を知る」という、ただの好奇心を満たすのには十分な場所です。お金もらえるし。

 

コーディングに関していえば、これからはITがより、私たちの生活を侵食するわけだし、知っておけば意外と役に立つことも多いですね。

出来る出来ないは別として、知る知らないは決定的な違いを生みますから。その上で、「もし出来たら」強みになるわけです。

戦略とはトレードオフである。何かを選ぶということは、何かを捨てることだ。

マイケルポーターはこう言ったわけで、まさにこの考えが私の今を表しています。

 

みらい

これからの未来は予測不能です。いま会社に勤めている人も、来年はどうなるかわからない。

まさにそういう時代に、移り変わっていると思っています。その中で必要なのは、個人として立ち上がらるチカラ。

もしくは、コミュニティーで経済圏を作り出すチカラ。その能力を養う為にも、日々少しづつ、チャレンジしていきます。

私は、あまり実行力のあるタイプではありません。どちらかというとアイデアが出ては立ち消え、あっちこっちへフラフラしていく飽き性。未来を見せる未来志向。また様々な分野を吸収し、分析して理解する学習欲・収集心・内省の塊です。

人がワクワクするような未来を、仲間とともに作りあげていく。国はバラバラでも、皆がお互いにワクワクしあい、切磋琢磨して、コミュニティごと伸びていく。それを支えていく。

そういう人でありたいと思っています。もちろんライターや翻訳として、WEB・プログラミングの知識を武器とていきます。

企業でプログミングでの知識を盗みつつ、ライティングや翻訳、その他のプロジェクトで自分を伸ばす。そういう「常に前向きで、チャレンジング」な人生に挑戦していきたい。

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HIRO
フィリピン・セブ島のスラム街で、ボランティアを始めたキッカケから、フィリピンで働くことに。セブ島観光のエキスパートになって、「エキサイトセブ」というマガジンサイトでライターを経験。お仕事のご依頼は→ info.f.hiro”あっとまーく”gmail.com まで。

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